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2014年02月27日

怖くてできないこと。

私は、運動能力?がすごく極端で、足が多少速かったりもしたので、
運動ができると時々思われてしまったりもしたのですが、
どんくさいところは、とことん、どんくさく、
たとえば、あまり乗り物が得意な子どもではありませんでした。

自転車とか、すいすい乗れるようになるタイプではありません。

それから、怖くてできないことがたくさんありました。
水も怖かった。水泳が苦手でした。
津波の夢をみては、汗びっしょりで起きることが何度もありました。

娘が、小さな頃、スイミングスクールで、
プールサイドからのジャンプ(足から、です。頭からではなく)が
怖くてできなくて、とうとう体調まで崩してしまったのですが、
私も、それと同じぐらい、
「怖くてできない」ものが、どうしてもできない子どもでした。

近所の用水路の上の一本橋が渡れないとか、
ブランコで高くこぎあげることがどうしてもできない、とか。
あと、平均台は大丈夫なのだけれど、
跳び箱の上で前転することができませんでした。

夜布団のなかで考えると、
なんでできないのかわからないし、
むしろできるようになりたいのだけれど、
いざその場になると、
頑張っても、やろうと思ってもできなくて、
みじめだし、いやになります。

反面、怖くないことは、多少の無理をしても、
自分が傷ついても、自分のものが壊れてもしてしまうので、
極端なところがあるのだと思います。

で、やっぱり、こんな年になっても、
自分に、怖くてできないことがあるのだと、知りました。

やりたいのに、できない。

じゃあ、やりたくないのね、と言われるけれど、やりたい。
でも、やろうとしたらやれない。
・・・困った態度です。

昔、水が怖くて水泳が苦手でしかたないから、
父に、スイミングスクールに行きたいといったら、
ものすごく叱られました。
嫌だ、嫌だと言いながら、チャラチャラしたことを言うな、と。

克服したいのだと言ったけれど、
父は怒ったままでした。

苦手は苦手、限界は限界で、
静かにで受け止めてまっすぐに生きてきた父だと、
今になると思います。

怖くてやれない自分に、
この年で出会ったことに、驚きました。

やれない、が答えだとは思わなかった。
やっと、そうか、やれないのだと、気づきました。

一歩踏み出す勇気がないときは、
私は、それは頑張って踏み出そうと思います。
みっともなくても、不安でも、それこそ怖くても、
頑張るときは頑張るしかないと自分にいいきかせて、
えいっと、やる・・ことはできる。

だけど、この、一本橋がダメなのタイプの怖さは、
自分の意志を自分がきいてくれなくて、
まったく動けない・・私の意志ではどうしようもない。
どういうことなんだろう・・・・でも、
がんばって克服するにしても、時間が必要だと思う。

そして、大人だったら、こういうときは、
やりません、と言うしかないのだな、と、
やっと思いいたりました。

いかにも後ろ向きなこと、書いてしまいましたが、
無念でも諦念ともまた違う、不思議な哀しみです。
posted by semchy at 13:16| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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