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2014年03月01日

「幸せに」と。・・追悼・・

時がたって、やっと言葉にできるようになりました。

昨年、身内が亡くなった。

ほんの時々しか会わないけれど、
少し年上の、兄のような人だった。

彼は、私を、ほっとさせてくれた。

昔、たとえば法事とかで、
どこか堅苦しかった制服時代の10代の私に、
朗らかに、くったくなく話しかけてくれた。

私は、笑った。

同居していた祖母の葬儀のときに、
(当時は葬儀屋さんとか使う風習がまだなかった)
実家を会場にするために、家具を移動する男性陣のなかで、
ひときわ、なにかの明るい力に満ちているように見えた。

あのとき、やっぱり身内の中で、長女として、
何か、たぶん、母よりも父よりも妹よりも、
ひとり何かを背負って気が張っていた、やっぱり制服の私は、
祖母のために涙を流す人たちを静かにみながら、
こんなに泣き虫なのに、人前では涙を流さなかった。

ものすごく綺麗だった、棺のなかの祖母の顔。

そのときも、彼は、いつもと変わらずに自然で、
優しくて気さくで、何かの手を貸そうとしてくれた。

長女だった私は、いつも、“兄”や“姉”のような身内を、
会えないわりに、心のなかで、支えにしてきた。

のこされた、やはりわたしの姉のような妻と、
その子どものことを考えると、涙がとまらない。

おいていくほうも、おいていかれた方も
まだ・・・まだこんな別れ・・早すぎたでしょうに。

急に倒れて、逝ってしまったのだときいている。

葬儀の日は、仕事に出たので、いけなかった。
あとから、別の形の弔いにいった。

新しいタイプのお墓だった。
たくさんの人の、生前の名前と戒名が並んでいた。

近くで仕事があった移動中に、ひとりお寺に寄ったときは、
石に刻まれた名前に手を触れたら、
「こんな姿になってしまって」という言葉が口から勝手にでてきて、
寒い日で長くはいられない気がしたし、
仏像とかを拝観する人が続々とそばをとおるから、
静かにしていなくては、と思ったのだけれど、
なぜか自分が、自分の言うことをきかなくて、
「こんな姿に、こんな姿に・・」と声を出し続けて、
泣けて泣けて、泣けてしょうがなかった。

無念だったでしょう、家族が、息子が、心配でしょう・・
もっと生きたかったでしょう・・


お坊さんがひとり出てきて、
黙ってそばに立ってくれた。

少ししてから、お経をあげてくれた。

多くを言わず、何もたずねずに、
「あなたが、幸せになることですよ」と、
最後に言ってくれた。

涙が止まった。

温かいお茶を、と言って頂いたけれど、
やっぱり夕方からの仕事があったので、お断りした。

勝手な妄想だとも思うけれど、

「こんな姿になってしまって」
と、言ったのは、私じゃない気がする。

「こんな姿になっちゃったよ、千恵ちゃん」と、
兄のような彼こそが、本当は私に言った、と思った。

私の名前も覚えていてくれてたかわからないけど、
遺族まっただなかでない私が何を言うか、って話だけど、
自分中心な話でごめんって思うけど、
だから、私の勝手な妄想だろうけど、だけど、

また、くったくなく、親しげに、
話しかけてくれたのだと、思った。

あの、恰幅のよかった・・・、
うちのタンスを運んだり、小さな子どもを抱き上げてた、
あの肉体を、失ってしまったよ、と、言ったのだと思った

もう、手伝えない、家族も慈しめない、と。

そして、お坊さんの口もかりて、
「千恵ちゃん、しあわせに」とも
言ってくれたのだと・・・思った。

幸せになる「覚悟」をするという教えを、
昔、受けたことがある。

幸せに、なっていいのか、
私は、よくわからなくなる。

こんなに泣いてばかりでも、
うまくいかないことも、心配事も多いけど、
いま、じゅうぶん幸せだとも思う。

大義はあるけれど、
だから、仕事をしているけれど、
人のため、社会のためだけに、
生きられるほど、綺麗で強くもない。

そして、自分の幸せのために生きる、と言えるほど、
やっぱり、強くもないし、その綺麗さもない。

簡単に、単純に、それを言ってはいけないとも、
なんとなく思っている。

人はみんな幸せになるために生きてほしいと、
それはそれで、本当に思ってもいるのだけれど。

自分のことは、わからない・・
矛盾だらけ。

でも、幸せに、と、
お坊さんに言ってもらった言葉は、
泣けて、泣けてしょうがないけど、
しっかりうけとって、大事にしようと思う。

生き残ったのだから、
その、「覚悟」も、しようと思う。



( 合掌。 )


posted by semchy at 16:37| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
泣けて、泣けて・・・という状態に、私までなってしまいました。
ご愁傷さまです。
でも、読後にさわやかな気持ちにもなった自分もいます。

幸せの定義はむずかしいですよね。
でも、生かされているのだから、幸せにならないといけないですよね。

(初めてコメントしました。時々読んでいます)
Posted by skyblue at 2014年03月02日 01:12
skyblueさま

お返事遅くなり失礼いたしました。
コメントありがとうございます。

読んで下さって嬉しいです。

人も動物も植物も、はみな幸せになれたらいいと思うのですが、
でも、「幸せになるために人は生まれた」というような言葉の意味が、
私には、うまく捉えられないときがあります。
でも、本当にそうなのだと思わされもすることが、増えてきました。

そして、どうか・・・どうか幸せになってほしいと思う人の数も、増えてきました。

Posted by 仙波千恵子 at 2014年05月04日 01:54
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