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2015年08月26日

fwoo-K、スタートしました

少々コンセプトを整えて、新しいブログをスタートしています。

fwoo-K と名づけました。フウケイ。

Fwoo K   この風景が、つぎの風景をつくるから。.png


試行錯誤しながら、整えて行きたいと思います。

フウケイ・・・。私が、書くもの、お伝えするものは、風景なのだと思います。

私が見た風景。伝えたい風景。

去年、greenz.jpの編集学校というスクールに、ライター枠で参加させていただきました。
greenz.jpの編集長でもあり、屈指のライターでもある兼松佳宏さんが講師なのですが、兼松さんがグリーンズの記事のことを「ラブレター」に例えて話したのを、よく受講生の方々が繰り返していたのを覚えています。

そして、私は、ラブレターというものをラブレターと意識して書いたことがない無頓着者で、でも、逆に、ラブレターでない取材記事を書いたことがないことに、気づかされました。

私は、インタビュー記事は、涙ぐみながら書いたりしています。ひとつの記事のなかに、1文か2文程度、長くても一段落程度なのですが、書きながら熱い涙がこみあげる部分があるのです。読んでいて泣けるかどうかは別なのですが、その文が、記事のかなめになっていたりします。言い換えれば、それがある記事に、魂が宿るような気がします。

書く時の涙。それは、悲しみへの共感といったものではなく、生き様への感動、人というものの輝きに触れて自然に流れるような涙です。あるいは、その人の涙、読む人の心の涙。そこから、その記事が、取材をさせていただいた人の中の深いもの、それから、読んでくださる人の深いものと、つながっているようなイメージです。

ラブレターだというなら、本当にそうだなと思いました。私の涙の源泉が誰かにつながっているのを感じながら、その見えない方々にむけて、わりと熱い気持ちで書いています。記事がどこでどのように誰に読んでいただけているのか、私にはまったくわからないことですし、記事の提供はチーム仕事なので、記事はライターのものでもありません。

その自分の手を離れていく遠さと、心の深いところでつながるような近さの感覚は、少し現実離れした感覚で、ある意味恋と並べて良いぐらいの思いで、私は書いている、と、ふと思います。

そして、頭のなかには、もうひとつ、少し別の次元の意識も。そこには、自分のリアルな世界にいる、大切な人がいます。この感覚もうまく理屈では言えなくて、本人たちも望んでいないかもしれないけれど、私は、その自分の大切の人のためにも、世界のなにかに身を捧げてものを書いているようなところがあります。この感覚がないと書けないぐらいです。

我が子もそうだし、親や身内もそうだし、心近い友人や、自分のパートナーに、私は、私の見ている風景、見つけた風景、誰かが教えてくれた風景を見てほしい。見せたい。そして、彼らの心にうつる風景もまた、教えてほしい。並べあわせたくて、重ね合わせたい。

そんな思いで書いていると、取材させていただいたものや人の中の、コアの輝きが私を感動させ、それが記事になり、それを記事に仕立ててくれる人たちがいて、読者の方々に届く・・・

世界は物質としてはもともとあるものだけれど、人は、それを少しずつ捉えて関わって自分というものとつなげて、時を重ねながら、新しく展開させていくものなのではないかと、私は、なんだか思います。生きるということは、そういうことだという気がして、だから、大切な人たちに、私が捉えた素敵なものを伝えてシナジーを起こすことに、熱い思いを抱くのでしょう。

・・・という、こんなことを、よく私は言っていますが、・・・そんなわけで、風景、と新しいブログに名づけました。


どうか、私の愛する風景を、受け取ってほしいです。



(^ ^)
posted by semchy at 02:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | writing | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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