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2016年03月20日

花粉症。取材前の自分。

すっかり春だなと思います。

今年は、花粉症がひどくて、悪寒がとまらず、頭がぐらぐらしてしまいます。

そんななか、取材や打ち合わせ、授業や面談のお仕事で外出するのはとても大変なのですが、出かけてしまえば、やはり、現場に出ると気持ちがすっきりし、その時ばかりは体調の悪さもまるで薄れるので、やっぱり仕事はありがたいです。

取材は、これまでに行ったことがない町に行けるのが本当に楽しくて、刺激的です。

駅を降りたつときには、小さな旅をするような気分になります。

先日の取材も、ほとんど知らない町に出かけましたが、場所を確認してから、カフェで過ごしました。Instagramに投稿したこの写真は、そのときのものです。

先日の取材前。ちょうど空きました、と、パーテーションのある広いデスクの席に案内してもらえて、嬉しかった。
#cafe #work


どのカフェもいっぱいで、作業ができる場所を探すので時間が過ぎてしまって困ったなと思っていたら、最後にたどりついたのがここ。大きな机の席を使わせていただけました。机にスペースがあるので、ケーキも楽しみながら、取材準備をしていたところでした。


取材前の私は、少しピリピリしていることもあれば、逆に、ふっと力を抜いて、リラックスしていることもあります。資料の確認や、機材などの準備を終えて、他案件の連絡などしてしまっておいてから、ブログやFBなどポエムみたいな調子で、書いてることが多いかもしれないです。そして、それを書いてから、また、取材に頭を戻して現場に。そのときの、背筋の伸びる感覚は、とても好きです。

このブログの初期の頃は、私は、ライターに復帰することなんてありえないと思っていました。そこから何年も経ったのだなと、最近、よく思います。そして、復帰する選択を考えなかった30代のころの私は持っていなかった、10代や20代始めの若かった自分の「仕事を受け取る」思いがあることを知ります。

そんな過去の自分たちのことも、今の私なら、受け止めて、その先の仕事をする自信ももてるようになった・・

以前から、仕事のブランクがある主婦の再就職の際に、越えさせてあげなければならないハードルのひとつは「自信がないこと」だと、言い続けているのですが、確かに、私本人が、今振り返っても、本当に自信をもちようもなかったことを思います。

新しいWEBマガジン風のブログ「フウケイ」を始めていますが、時々、こっちの「ぴかきら☆ふぇいす」にも帰りたくなる自分がいるんだな、と、気づきました。今日は、特にそう思った日曜日で、久し振りに、こちらに書いてみました。
posted by semchy at 22:17| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

新緑の日に、饒舌と寡黙。

5月です。緑が綺麗。

明日から子ども達が連休に入るので、
今日のうちにすることをして時間をあけようと思います。

この春は仕事をセーブしていて、大きな仕事はしていないものの、
昨日は今朝までものを書き続け、今日も書き続けていて、
つまり、少し、燃え尽き気味ということなのかもしれませんが、
脳が言葉を口元までもってきてくれなくて、人とうまく話せない。
昼がすぎても、電話がきても、どうも無言がちな自分です。
(不機嫌みたいで困った。。)

それでも、自分のペースで、書き言葉で返せるチャットでは、
意外と饒舌だったりして、脳とか身体って面白い。
“働き方”とか“選択”とか“本質”みたいなテーマについて、
朝から(昨日から・・かも)、遠隔で、
友人たちと、あいま、あいまに、気ままに喋っている。

この5月になるまでに、何か磁場のようなものが働いて、
不意に生まれたいくつかの交流にも驚き、
巡り合わせの妙に深く感謝したりもしています。

noteに息子のことを書きはじめたのも新しい試みですが、
これとは別に、もうひとつ、
難しいけれど書かなくては、と思うテーマがあります。
それを書くのは、息子のことを書くのとは別の意味で、
本当にただもう私の力量では文章化が難しい。
そして、このことについても、少しずつ考えや体験がすすみ、
やはりここにも、なにかご縁の力を感じます。

不思議です。

書けない、わからない、言えないカオスの中で、
軽快なコミュニケーションができない自分のこの感覚・・
何か寡黙な自分のことも持て余す午後・・だけれど、


何年か放っておいてしまった自宅の庭も、
冬も春も越え、初夏の様相になり、
秋に増やした球根の、花も咲きました。

ハーブも、和の香草もかおっている。

新緑の季節がきて、嬉しいです。

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posted by semchy at 16:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月24日

オレンジ色の元気をいただいています 〜 上田晶美先生と。

ファイナンシャルプランナー氏家先生のセミナーを受講した際、
会場にオフィスがある、共催の上田晶美先生にも、お会いできました。

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先生には何かとお世話になってきて、本当に感謝しています。

先生からいただくアドバイスは、的確で鋭く力強くて、
トレードカラーのオレンジにも、エネルギーをいただきます。

この冬移転された新事務所にお邪魔するのは2度目。
明るくて素敵な、セミナールーム併設のオフィスです。

初めてうかがった2月初頭のお披露目のときには、
胸に迫る、東北支援のお話などもお聞きし、
キャリア支援というお仕事の可能性や本質にも感動しました。

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一昨日は、帰り道に、
青山通りからみた渋谷の夕空がとても綺麗で、
本当にあそこが渋谷か・・・と思うほど。

軸をしっかりさせて、頑張ろうと思いました。


posted by semchy at 11:21| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

「幸せに」と。・・追悼・・

時がたって、やっと言葉にできるようになりました。

昨年、身内が亡くなった。

ほんの時々しか会わないけれど、
少し年上の、兄のような人だった。

彼は、私を、ほっとさせてくれた。

昔、たとえば法事とかで、
どこか堅苦しかった制服時代の10代の私に、
朗らかに、くったくなく話しかけてくれた。

私は、笑った。

同居していた祖母の葬儀のときに、
(当時は葬儀屋さんとか使う風習がまだなかった)
実家を会場にするために、家具を移動する男性陣のなかで、
ひときわ、なにかの明るい力に満ちているように見えた。

あのとき、やっぱり身内の中で、長女として、
何か、たぶん、母よりも父よりも妹よりも、
ひとり何かを背負って気が張っていた、やっぱり制服の私は、
祖母のために涙を流す人たちを静かにみながら、
こんなに泣き虫なのに、人前では涙を流さなかった。

ものすごく綺麗だった、棺のなかの祖母の顔。

そのときも、彼は、いつもと変わらずに自然で、
優しくて気さくで、何かの手を貸そうとしてくれた。

長女だった私は、いつも、“兄”や“姉”のような身内を、
会えないわりに、心のなかで、支えにしてきた。

のこされた、やはりわたしの姉のような妻と、
その子どものことを考えると、涙がとまらない。

おいていくほうも、おいていかれた方も
まだ・・・まだこんな別れ・・早すぎたでしょうに。

急に倒れて、逝ってしまったのだときいている。

葬儀の日は、仕事に出たので、いけなかった。
あとから、別の形の弔いにいった。

新しいタイプのお墓だった。
たくさんの人の、生前の名前と戒名が並んでいた。

近くで仕事があった移動中に、ひとりお寺に寄ったときは、
石に刻まれた名前に手を触れたら、
「こんな姿になってしまって」という言葉が口から勝手にでてきて、
寒い日で長くはいられない気がしたし、
仏像とかを拝観する人が続々とそばをとおるから、
静かにしていなくては、と思ったのだけれど、
なぜか自分が、自分の言うことをきかなくて、
「こんな姿に、こんな姿に・・」と声を出し続けて、
泣けて泣けて、泣けてしょうがなかった。

無念だったでしょう、家族が、息子が、心配でしょう・・
もっと生きたかったでしょう・・


お坊さんがひとり出てきて、
黙ってそばに立ってくれた。

少ししてから、お経をあげてくれた。

多くを言わず、何もたずねずに、
「あなたが、幸せになることですよ」と、
最後に言ってくれた。

涙が止まった。

温かいお茶を、と言って頂いたけれど、
やっぱり夕方からの仕事があったので、お断りした。

勝手な妄想だとも思うけれど、

「こんな姿になってしまって」
と、言ったのは、私じゃない気がする。

「こんな姿になっちゃったよ、千恵ちゃん」と、
兄のような彼こそが、本当は私に言った、と思った。

私の名前も覚えていてくれてたかわからないけど、
遺族まっただなかでない私が何を言うか、って話だけど、
自分中心な話でごめんって思うけど、
だから、私の勝手な妄想だろうけど、だけど、

また、くったくなく、親しげに、
話しかけてくれたのだと、思った。

あの、恰幅のよかった・・・、
うちのタンスを運んだり、小さな子どもを抱き上げてた、
あの肉体を、失ってしまったよ、と、言ったのだと思った

もう、手伝えない、家族も慈しめない、と。

そして、お坊さんの口もかりて、
「千恵ちゃん、しあわせに」とも
言ってくれたのだと・・・思った。

幸せになる「覚悟」をするという教えを、
昔、受けたことがある。

幸せに、なっていいのか、
私は、よくわからなくなる。

こんなに泣いてばかりでも、
うまくいかないことも、心配事も多いけど、
いま、じゅうぶん幸せだとも思う。

大義はあるけれど、
だから、仕事をしているけれど、
人のため、社会のためだけに、
生きられるほど、綺麗で強くもない。

そして、自分の幸せのために生きる、と言えるほど、
やっぱり、強くもないし、その綺麗さもない。

簡単に、単純に、それを言ってはいけないとも、
なんとなく思っている。

人はみんな幸せになるために生きてほしいと、
それはそれで、本当に思ってもいるのだけれど。

自分のことは、わからない・・
矛盾だらけ。

でも、幸せに、と、
お坊さんに言ってもらった言葉は、
泣けて、泣けてしょうがないけど、
しっかりうけとって、大事にしようと思う。

生き残ったのだから、
その、「覚悟」も、しようと思う。



( 合掌。 )


posted by semchy at 16:37| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

怖くてできないこと。

私は、運動能力?がすごく極端で、足が多少速かったりもしたので、
運動ができると時々思われてしまったりもしたのですが、
どんくさいところは、とことん、どんくさく、
たとえば、あまり乗り物が得意な子どもではありませんでした。

自転車とか、すいすい乗れるようになるタイプではありません。

それから、怖くてできないことがたくさんありました。
水も怖かった。水泳が苦手でした。
津波の夢をみては、汗びっしょりで起きることが何度もありました。

娘が、小さな頃、スイミングスクールで、
プールサイドからのジャンプ(足から、です。頭からではなく)が
怖くてできなくて、とうとう体調まで崩してしまったのですが、
私も、それと同じぐらい、
「怖くてできない」ものが、どうしてもできない子どもでした。

近所の用水路の上の一本橋が渡れないとか、
ブランコで高くこぎあげることがどうしてもできない、とか。
あと、平均台は大丈夫なのだけれど、
跳び箱の上で前転することができませんでした。

夜布団のなかで考えると、
なんでできないのかわからないし、
むしろできるようになりたいのだけれど、
いざその場になると、
頑張っても、やろうと思ってもできなくて、
みじめだし、いやになります。

反面、怖くないことは、多少の無理をしても、
自分が傷ついても、自分のものが壊れてもしてしまうので、
極端なところがあるのだと思います。

で、やっぱり、こんな年になっても、
自分に、怖くてできないことがあるのだと、知りました。

やりたいのに、できない。

じゃあ、やりたくないのね、と言われるけれど、やりたい。
でも、やろうとしたらやれない。
・・・困った態度です。

昔、水が怖くて水泳が苦手でしかたないから、
父に、スイミングスクールに行きたいといったら、
ものすごく叱られました。
嫌だ、嫌だと言いながら、チャラチャラしたことを言うな、と。

克服したいのだと言ったけれど、
父は怒ったままでした。

苦手は苦手、限界は限界で、
静かにで受け止めてまっすぐに生きてきた父だと、
今になると思います。

怖くてやれない自分に、
この年で出会ったことに、驚きました。

やれない、が答えだとは思わなかった。
やっと、そうか、やれないのだと、気づきました。

一歩踏み出す勇気がないときは、
私は、それは頑張って踏み出そうと思います。
みっともなくても、不安でも、それこそ怖くても、
頑張るときは頑張るしかないと自分にいいきかせて、
えいっと、やる・・ことはできる。

だけど、この、一本橋がダメなのタイプの怖さは、
自分の意志を自分がきいてくれなくて、
まったく動けない・・私の意志ではどうしようもない。
どういうことなんだろう・・・・でも、
がんばって克服するにしても、時間が必要だと思う。

そして、大人だったら、こういうときは、
やりません、と言うしかないのだな、と、
やっと思いいたりました。

いかにも後ろ向きなこと、書いてしまいましたが、
無念でも諦念ともまた違う、不思議な哀しみです。
posted by semchy at 13:16| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月07日

梅雨明け

梅雨らしく繁った庭に夏が来る。

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posted by semchy at 21:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月03日

年ごとに何かあることについて

若い鳥のむくろを、今年は何度かみかけている。
教室の生徒でも、そんなことを言う子がいた。

たまたまだろうか。
それとも、本当に、多いのか。

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今回の夏と春は、私には、また、新しい。
死というモチーフは、私にぼんやりと、何かの準備を促す。

再生し、移り変わる世界と、
終焉を遂げる幕引きの一線と。

posted by semchy at 11:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月20日

車内が社内のような1日の話

昨日、でかけるとき、
電車のなかで打ち合わせをしている人たちがいて、
素早く企画がきまって業務分担されていくのが見事だった。

この人たち、なぜか、
ぼんやりパソコン作業している私の目の前に立ってた・・
席、ガラガラなのに。


夜、帰宅するとき、
混雑気味の車両のすみで、少々お酒が入った顔をしたふたりがいて、
仕事を降ろされたひと、おろした人の会話だと途中でわかった。

片方の人は柔らかいけれど強い笑顔・・なのに目からは涙が流れていて
自分の未熟をできるだけ淡々と分析しながら改善策を伝え続けていた。
もう一方の人は、静かな丁重な対応を続けながら首に行く筋もの汗が流れていて、
でも、返事のたびに少しずつきつい言葉を使ってノーを言い続けていた。

ノーが言われるたびに、山手線がしずまりかえって
この二人の空気をみなが感じてなりゆきを見守っているような気がした。



電車のなか、
人の仕事の場面を垣間見た、梅雨の1日。



◆◆◇◇◇◆◆
posted by semchy at 12:41| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月31日

パワーストーン


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絡まってしまったのが、ほどけた。
3粒の石。
posted by semchy at 12:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

やりたくなさ、とか、本能的なプライド、とか。

いままでしたことないこと、自分のすることではないと思ってたこと、
こんなことはしなくてもいいと思ってたこと、
できるわけがない、とんでもないと思っていることを、

しなければいけない状況に追い込まれる・・

と・・・・・


ありえないでしょう、できないでしょう、
おかしいでしょう、
なにかが起きてこの計画なくなってほしい

と、思いながら、
大抵そういうときに計画がなくなるほうへの
天の助けはあらわれなくて、

逃げるしかない・・か、
やるしかない・・か、

になって、

そして、やってしまって、

やってしまえばできるようになって世界が広がる。

私もなんだか、
この感覚のパターンが少しわかってきて、

「ああ、この感じ・・このタイプのやりたくない“やな感じ”は、
きっと自分の前進への大きな必要な一歩なの・・だった・・」

と、

わかって、
腹をくくって、
意外と多少楽しく、

正視して対峙して、とりくむぐらいにはなってきた。

これ・・私は、小さな頃、若い頃、
とても苦手だったのだと思う。

なんていうか本能的な、プライドとか、いやだと感じる強さとか、
そういうもののせいなのだと思うけれど、

プライドとかいう言葉は、一言でいうと一言なのだけれど、
本能的なプライドっていうものは、
発動しはじめたら抑えきれない衝動のような・・
人のそれを見ていても、自分のそれを思っても、
私にとっては、子どもが持たされている、
とても綺麗で厄介な花火のように見える。


話を戻すと・・

いやなことでも、いやで辛い気持ちにとらわれず、
できるようになったのは、

もちろん、それを乗り越えると自分が自由になるのを体感するような、
やや強引な経験のいくつかのおかげであるのだけれど、

ほかにも、「やな感じ」のいやだと感じる感覚が、
だんだん歳をとって鈍くなってきたおかげかもしれないとも思うし、
それ以上の「前進」への想いの強さのおかげなのかもしれないとも思う。


前進・・・若い頃の前進や向上への気持ちとはまるで違う、
この、なんというか、根太い気持ちはなんだろうかとも思うけれど、
前に前に、仕事をすすめていくことへの、
この身体と生を授かっているならば・・と思う、社会とか人生とか何かに対する
責任感にも似た気持ちが自分の機動力になっているのが、
私・・自分が色々とまったく大変だけれど、でも、結局、とても面白い。




posted by semchy at 10:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月24日

花粉症と社会活動の運命と個人の仕事について

かつて取材させていただいたり、自分も関わらせていただいたり、
なんとなくのご縁を常々もたせていただいていたり・・・などなどで
気にしていた社会活動が、それぞれ、
軌道にのったり頓挫したり、方向変換したりしてきた様子が
数年に渡るスローモーション画像のように頭に浮かんでいる。

季節がらだろうか、それらの動きとからんで、
個人レベルでの企画の話、仕事の話が、
ばたばたとあちこちで展開しているのが
目や耳に入ってきて、

こんなときに花粉がとんでくるので、
あたまがちょっと鈍くなってぼんやりして・・

このテーマについては、このぼんやりに身をまかせて、
次の思考にうつった方がいいのか、
それともがんばってふんばって、このテーマについて、

・・このテーマというのは・・たぶん、「仕事」そのものについて・・

の思索に力を注いだ方がいいのか、わからなくなっている。


posted by semchy at 09:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月19日

雨上がり

ああ、やっと。

やっと目を覚ましたのかい、

と、

さっきから、

声をかけてくれているのは、誰だろう。

おばあちゃん・・だと思うのだけれど、
私の大事な、どこのどのおばあちゃんが、
待っていてくれて、見ていてくれているんだろう。

あまりに親しみのある、この人のこの感じ・・

目覚めたら、

何をしたらいいのだったっけ。

外は雨上がりで、ああ、とてもさわやか。


posted by semchy at 02:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月28日

温かい幻想

外が冷たい雨で、部屋のなかは温かくて、
1年前も、こんな風に学びにきている子どもたちと、
年が暮れるなか過ごしていたことを思い出した。

冬というのは、夏とは、また違って、
秋とも春ともまるで違って、
どこか静かな強く厚い暖気で包まれた場所が
降りてきて人を覆う。

お孫さんたちの話を嬉しそうにしあうほろ酔いの男性がふたり、
向かい側にすわっていて、それが、私に父を思い出させる中央線。

酔ったすがたが見苦しくみえないこともあるのだと、
福の神のような笑顔をぼんやり目の端に見ながら
年を重ねることの美しさ、前の世代がもつ美しさを実感する。

そして、
終着駅についたら、私はやはり降りるしかなく、
冬を歩けば、街灯一本ごとに、
時間が、子どもの頃まで巻き戻されるようで、
世界の夜は不思議・・

どこもかしこも変わり続け、
たくさんの命や時間が出入りする、この町が、
けして自分のものではないとばかり、
思わされてきたというのに、帰ってくれば、
私もここで育ったのに違いないことばかりを、
思わされることも、意表をつかれて、不思議。


posted by semchy at 23:12| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月20日

一週間

この1,2年が、まるで一週間か二週間ぐらいに感じる・・
「長い一週間・・」というイメージ。

まだ、この「一週間」終わってない・・

いろいろ・・いろいろなことが重なったけれど、
記憶もずいぶん迷子にしてしまった気がするけれど、
自分がしていることは、結局ひとつだけなので、
「それが叶うまでの一週間」なのだろう。

やりとげるまでの一週間。

もう少し続くけれど、曜日が変わった・・気がする。

時間軸を少し社会にあわせることにしようと思い、
スケジュール帳をととのえて、少し窓をあけてみた。

風景は予想に反して心象以上・・

続く時間のなかで、ゴールなんてないと、
大人になると知る。

IMG_2139.JPG

それができるかできないかは、最後は、世界が知るばかりで、
だけど、私は、ここで呼吸しながら、
私自身のことも知りながら、ここでこれをするんだと思う・・

posted by semchy at 11:19| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

覚悟

電車のなかで、思いがけずのイメージを、
不意に見た気がして、

それは、

とても美しく哀しく、

なにか謎解きのヒントをはらんでいるようにも
見えたけれど、



そのあとの現実は、
まるでそんなイメージの真実など幻想であるかように、
やや固くくすんで遠くて、

そのギャップに目眩をおぼえながら、
いったん目をとじ、息を整え、

もう一度開いた目でとらえ直した世界が
私に送る現実と想いは、

近づけないほどの・・・・


・・・もう一度、

もう一度、統合しなおして、
私は、世界に向かい合う

覚悟は一瞬で、
それをしたとたんに、鍵がひらき
世界があらわれる この不思議・・・



posted by semchy at 10:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

私の転機

すごく自分よりしっかり考えてしっかり生きて、
しっかり接してくれる人に会うと、
自分ががさつで人の部屋を踏み荒らして歩いているような、
だけど、相手は、凛としてひとつも揺らがないような、
とても恥ずかして頭が地べたぐらいまで下がり、
そして、同時にとても憧れて尊敬する。

ひとりひとり自由で自立している人の集まりは、
確かに心地が良くてラクだけれど、
人と人が手を差し伸べ合って触れ合っている人の、
その静かで細やかなつきあいかた、つながりかたを、
理解しなかったり踏みにじったりすることは、
ないじゃないかと、今日、まさに、また思った。

「転機」が女性には多いのだと、今日、上田晶美先生が、
セミナーで言っていた。

そして、それとはまた別かもしれないけれど、
私も、いま、転機を迎え、
何が私にとって、新しく取り入れるべき価値観で、
何が誰かの自己弁護と視野の狭さゆえに発信されたような価値観か、
少しわかって、自分が選びたいものに戻り、
それを選びたいと言えるようになろうとしている。・・気がする。


posted by semchy at 00:22| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

黒子

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子どもは誰かといることで安定するらしい。

講師仕事をしている先で、親をまつ子が
私の部屋をそっとのぞくので、つい笑ってしまうと、
安心して入って来る。どの子も、この感じは似ている。特に男の子。

友達がいると、子どもは子ども同士で遊んで一緒にいて、
ひとりだと、私の教室に入って来て、
そして、パソコンをのぞいたり、教具を触ってみたりしながら、
「先生はどうして先生になったの?」などときいたりする。

そして、自分の親が用事を終え、出て来そうな気配を察知すると、
すっと静かに部屋を出て行き、ひとりで待ってたふりをしている。

親の目は届ききらないんだなと、思う。
そしてこれが子どもが親に示す、まがいない忠誠なんだとも思う。

私の目も、自分の子ども達の、
どこまでを捉えているのかわからない。

「先生は、中学受験をしたんでしょ?」と生徒がいう。
「いつから早稲田大学に行きたかったの?」ときく。

・・・あたしは・・・

彼らが抱く不安を見守るばかり、ただその命の営みを
応援するばかりで、静かに夜のひとときを一緒に過ごす。
うちの子たちはもう入浴もすませて
パジャマになっている時間だと思いながら。

あたしは・・・

中学入試が、自律神経のちょっと壊れるきっかけになったけど、
女子中女子高で過ごせた6年間を良かったと思っていて、
だけど、自分の娘が公立の学校に行きたいと言ったのを、
それはそれで彼女の良い選択だと思っていて、

早稲田大学に行きたかったのは、自由な校風に憧れたからだろうか、
「第一志望校」に合格できたから嬉しいとは思うけれど、
でも、早稲田時代がかくべつに幸福だったわけではなくて、
本当は、もっと別の大学に行けたらよかったと思ったりもしている。

というか、女子校時代も早稲田時代も、その後も今も、
私は、環境に満足することが難しく、
卒業しては、次に次にと行きたくなってしまう。

大事な人たちとのつながりだけは、心地よくとっておきながら。

「世界の黒子になれたらいいと思うことがあってね、
それを実感できたら、人生は成功だなと思うのね」
って、今日、わざわざ私のとなりに来て「自習」をする子に言ってみた。
教材原稿を書きながら。

「うわ、はやっっ。ブラインドタッチ?」って言うのがおかしかった。
私より速く正確にキーを打つ人はいっぱいいるのだけど。

「仕事する人ってみんな黒子じゃん。先生の言う意味でいうなら。
主婦もそうでしょ」とそのあと、彼は、鉛筆を削って、
計算練習がめんどくさい、電卓使いたい、と嘆きながら言った。


子どもって・・・たまらない存在。
posted by semchy at 22:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

友達の撤退

・・・・

今朝方、異国で途方にくれた友人からのメールが届いた。

泣いているならそばにいたいし、
抱きしめたくも思うし、
それができないのはせつないけれど、

私には、たとえ彼女が失望と後悔でみじめになっていても、
想いをもって海を渡った友人の、悩んで打ひしがれたシルエットだって、
きっと美しくて私の誇りだし、

あのとき、行かずに日本に残った友人たちも、
行かなかった勇気と、彼女をひとりで行かせた苦い想いを、
形に変えて歩を進めているように見えるから、

そのことが、やっぱりとても誇らしくて愛しくて、
こういう想いのなかで、人生を重ねる意味を知りながら、
私の足が、大地をとらえていく気がする。



↓昔、ウォークマンからイヤホン片耳ずつつけて一緒にきいた曲。





posted by semchy at 11:35| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

高尾、絶滅危惧駅舎って・・(T-T)


訪ねておきたい名駅舎 絶滅危惧駅舎 ( 二見文庫 )

訪ねておきたい名駅舎 絶滅危惧駅舎 ( 二見文庫 )

  • 作者: 杉崎 行恭
  • 出版社/メーカー: 二見書房
  • 発売日: 2010/06/10
  • メディア: 文庫




この表紙がまさに、つまり、高尾駅北口です。
私にとって、そしてたぶん多くの人にとって、町の誇りのひとつです。

北口から南口への通路がなくて不便で困るのは本当ですが、
そのためにこの駅舎をなくすのはあんまりです。

この近所に祖父母の家があったので、
私の幼い記憶がつまっています、この北口広場。

この駅舎の経歴と設置されたいきさつも、この本に書いてありました。

御陵がある高尾。それとも関係ある由緒ある駅舎・・・
国立駅の旧駅舎が廃止されるときもあんまりだとおもったけれど
(確かに今の駅もきれいだけど、でも、残念です。)
高尾の駅舎も・・・?? 
大事に保存使用し続けさせていただけないものでしょうか。
絶滅させたくないです。





posted by semchy at 23:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

貧血の女の子

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今朝はこども達と同時に家をでました。

ラッシュのピークは過ぎていましたが、まだまだ混み合い、
椅子が畳んである通勤電車で、
気分の悪くなった女の子がいてかわいそうでした。

荷物を落としてしゃがんでしまったのだけど、
一瞬、意識を失ったんでしょう。
蒼白の冷や汗いっぱいの顔で、しゃがんでいる自分に驚いてた。

話にはよくきくけど周囲の人は本当に微動だにしない。
散らばった荷物をひろってあげるのも、本当に大変だった。
足どけてと言ったら黙ってどけてくれたけど。

英語で話していた多国籍の女の子グループの子たちが近寄って、
大丈夫ですか、ごきぶんいかがですか、がんばってと話しかけて、
しゃがんだ子は、ありがとうございますと答えていた。

次の駅が私もちょうど降車駅で
拾った荷物を持ってベンチまで一緒にいったら、
ハンカチを口にあてながら涙を拭って、
いなかへのホームシックで弱ってるかもしれないといいながら、
最後にがんばりますと笑ってみせた強い人でした。

いまの暮らしの経験がきっと将来いきますよって、
なんだかなぜか私は答えて、
きょうも今朝もいまも、これは、東京が良くなることに続く、
苦い小さな種が撒かれたということなんだと信じて歩いた。

東急線に乗り換えると途端に駅が垢抜けます。
曇天ですが、蒸しています。
posted by semchy at 09:34| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | my words,my hearts | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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